寺子屋

日本は、おそらくここ、数十年において、核家族化がすすみました
また、プライバシーの尊重ということで、人と人の絆が薄くなってると感じます
こうした、自由さということは、快適だし、まえにはいろんな意味でやりにくかったことも、やりやすくなったとも言えます

一方、特には東日本大震災の後ですが、自由すぎるのも、しんどい絆がほしいという声も聴きます

実際のところ、ゆとり世代を中心に、人と相対してコミュニケーションするのが苦手という人が増えてることも気になります

こうしたなか、私は、自分自身がなにができるのか、考えました人とつながっていく方法を、ちょっとずつでも伝えていけないか?ということです

こうして、思い出したのが、当社の原点のひとつ。「寺子屋」です
先代社長のご自宅では、寺子屋と自ら呼んでいらした、学習塾が開かれていました。そこの生徒だった私は、いくつも貴重なことを学んだと思っています

その1 自分事として、いろんなことに対処すること

寺子屋のよさというのは、教わるのでなく、自分で学んでいくということです
例えば、こうです。ある日の塾では、Aくんは英語の予習。Bさんは理科、Cくんは宿題のやりなおし。Dくんは、数学の問題集などと、その日にやることは、自分で決めて、ひっかかってしまったら自分で手をあげて、先生に助けてもらうという方法でした。
黒板はありません。ときに、全員に解説してる場面はあったにせよひとりひとり、自分ですすめるのが基本でした

こうしたなか、自分ですすめること。誰のためでもない、自分のこととしてものごとを進める姿勢を身に着けるということが、あったと思っています

その2 学びあうということ

学びあうということが大事です。実るほど、頭をたれる稲穂かなという言葉もありますが、学んでいくという行為を、スムーズに、いい雰囲気で楽しくやる、こつは、教えてる側も学んでるという意識があること。学びあう姿勢があることです。
実際、人間が経験できることって、ひとりの人間では限りがありますね。
ゆえに、自分より年齢が下だろうと、一見は、その分野において、こちら側がよく知ってるにせよ、相手からも学ぼうという姿勢をもつということが本当に大事です。そして、相手も学んでるという意識が、本人にもいい影響があるのです。相手も学んでる、そうか近い立場でやってくれてるんだという、安心感、そして連帯感。
もうひとつ、仲間に教えてみることを、通じて、自分が学ぶのです
説明してみるというのは、実際よくわかっていないとできないことです

その3 絆を作るということ

絆を作る。仕事をしてる場面でも、仕事を超えたことを相談したり、雑談できるということは、極めて大事だと思っています
まず、仕事を超えた親しみがあれば、まずその人に起こってることに関心をもちます。相手がうれしく思ってることに、喜べるし相手が困ってることは、いっしょに、解決に知恵をしぼります
こうしたことが、いかにチームをよくしていくかってことを、いつも気にしていきたいものです